446/1000 求女塚西公園(神戸市灘区)

2013/08/31

古墳 神戸市灘区 兵庫県 歴史公園

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現在の東灘区と灘区の境目あたり、昔の海岸線に沿い、200mほどの間隔を置いて3つの古墳が並んでいます(いました?)。
古い時代には浜街道からよく目立ったのでしょう、二人の男から求婚された娘が「争いはやめて!」と自ら命を絶ち、男たちも後を追ったという伝説に因む塚だとして、真ん中が娘の墓「処女塚(おとめづか)」、東西二つが男たちの墓「東求女塚」「西求女塚」と呼ばれてきました。
現在は、それぞれ古墳としての保存状態は異なるものの、3つとも都市公園となっています。

そのうちの一つ、西求女塚。
史跡指定された古墳の名前は「西求女塚古墳」ですが、公園名は「求女塚西公園」でひっくり返っていますし、古墳(塚)は公園の中に含まれているので、求女塚の西の公園というのも少しおかしな気がします。でもきっとなにか理由があるのでしょう。
そして古墳は、昭和の中頃までは素封家・太田新次郎の別荘の敷地となっており、公園になったのは50年ほど前のことだと聞きます。公園になった後も何回か発掘調査が行われ、三角縁神獣鏡などの銅鏡が多数見つかったり、1596年の慶長伏見地震で石室が崩れたことがわかったりしました。また2001年の調査では、それまで前方後円墳だと考えられていたものが、前方後方墳だということが明らかになりました。

さて、現在の公園。
全長約95mの前方後方墳の墳丘がスッポリと公園に含まれており(裾部は周囲にはみ出しているかも知れませんが)、より高く盛られた後方部は丘っぽく整備されていますが、一段低い前方部、さらに低い平地部分は遊具広場となっています。

後方部は、公園整備された頃は後円部だと考えられていたためか、あるいは学者が間違えるくらい当時はすでに丸っぽくなっていたためか、円形の広場状になっており、周囲の園路も弧を描いています。

前方部上の遊具広場は、なんとなく古墳(円筒埴輪とか、人物顔付盾形埴輪とか)を意識したようなプレーウォールが目立っています。
公園が整備された時代と現在とでは状況がちがうわけですが、それにしても墳丘の上に遊具広場をつくってしまうというのは大胆です。

平場の方の遊具広場は、ブランコや滑り台、太鼓橋のラダー遊具などがあります。
こちらは、とくに古墳をイメージさせるものはありません。

前方部の南側の一角には、近隣から集められたものか、古い石仏や五輪塔などが所狭しと並んでいました。新しい花が添えられており、今もお詣りをする方がいらっしゃるようです。
それぞれがいつ頃からここにあるのかは分かりませんが、塚が信仰の対象となっていたことがうかがわれます。

神戸市による古墳の紹介ページ

(2013年4月訪問)

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